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将棋界が面白い [ライター的]

最近、将棋の中継や動画を見るようになった。

別に藤井聡太三冠だけの試合だけではなく、プロ棋士の対戦というだけでつい見てしまう。特に最近、20代、30代前半くらいまでの若手棋士に個性的な人が増えて、見てて面白いのだ。

実績や名声は関係なく、実力のある人が勝つという意味で、じつにフェアだ。

アートの分野ではキャリアの長さや活躍ぶりでますます作品に深みが出て、評価値は高まっていくけれど、将棋では過去にどんなに強かったとしても関係なく、若い人に負かされてしまう。見ていてハラハラさせてくれる。

ただアスリートの世界と将棋界が違うのは、「引退」がないところだ。たとえ戦績が振るわなくなっても、自ら引退を決めない限り、ずっと棋士であり続けられる。その点では、小説家に似ているなとも思う。何年も何十年も作品を書いていなくても、生涯、小説家を名乗っていられるし、個人的な事情や信条で筆を折ることはあっても、誰かに引退を迫られることもない。

そこには将棋界が作ってきた制度の賜物だ。8割以上がプロになる夢を断念してしまう厳しい道だが、一度プロになれば基本、生涯生活については安泰である。

だから一度なってしまうと、抜けられないということはあるだろう。それはいいことなのか、悪いことなのかはわからないけれど、それでもあの狭い世界に勝負の厳しさが維持されていること自体、じつは驚くべきことだ。

ふつうに考えれば、勝負師であるにもかかわらず生活がある程度保証されていると、戦う気持ちを保つのも難しいはずだ。

それでも緊張感を常に保っていられるのは、勝敗というフェアな指標があるからに違いない。

あの将棋の神様に選ばれたような羽生さんが、中学、高校生棋士負かされる姿を見ると、自分がもう若者たちには勝てないという現実を突きつけられるようで悔しさも感じたりするのだけれど、本当はそこに将棋の魅力の本質があるように思う。

50代、60代のベテラン棋士が20代の若手棋士に「負けました」といって丁寧に頭を下げる姿に、その秘密があるように思えてならない。

世代交代は必ず起こるということを、私たちの世代に教えてくれている気がしてしまってドキリとするのだが、きっぱりと負けを認める大人には、独自のかっこよさがあると思う。


七々三








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