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「迷ったら上をめざせ!」登山の教えから学んだこと [これからの生き方]

これまでも何度かご紹介しましたが、私の書道のお師匠さんは、武田双雲先生の実弟の武田双龍先生。
私より20歳もお若い先生に師事しているわけです。
で、若い人にものを習うっていいなあと思うことがたくさんあります。

その一つは、若い人(と一括りにしてはいけないかもしれないけれど)ってアクティブなんですよね。それで刺激をいただけることが多いのですが、とりわけ双龍先生は行動範囲が広いし、何かに打ち込むときの熱量がすごい。

最近では登山が趣味だということで、先日も一人で槍ヶ岳に行ってきたというお話を、とても面白く拝聴しました。

なんとなく教室終わりに二人で、山登りについてのお話をする流れになり、そこでとっても興味深いお話をうかがいました。

それは何かというと、山での「遭難」のお話です。

山での遭難というと、私たち一般人は、ヒマラヤの高山とか、国内なら北アルプスの冬山での悪天候などをイメージしてしまうのですが、双龍先生によると遭難者が多く発生するのは、高山より低山がほとんどなのだそうです。

私、そのあたりから、ほほ~と、身を乗り出していたことでしょう。

その理由は、もともとそんなに危機感をもっていないとか、低い山では周囲の景色があまり変わらないとか、自分なりに頭の中に地図をイメージしすいとか、いろいろあるみたいですけど、一番の原因は迷った時にすぐ「山を下りようとしてしまうこと」なんだそうです。

たしかに、それ、わかります。もともとそんなに高い山じゃないんだし、迷ったら下りればいいじゃんと、自然に考えますよね。ところが、それが一番の遭難の原因なんですって。というのも山は下に行けば行くほどすそ野が広がってしまうので、気づかないうちに危険なところに足を踏み入れてしまったり、何度も同じところをグルグル歩き回ってしまうことになるそうなんです。

では正解は? と聞くと、「迷ったら上をめざせ」とのこと。フレーズのカッコよさに思わず私、ほほ~と唸ってしまいました。

でもその理由がよくわからない。だって気持ちは一刻も早く下山したいのに、頂上に向かったらそれこそ危険な気がしますよね。

その理由を聴いたら単純明確。上を目指して歩けば、外周のエリアは次第に狭まっていくので、それだけ正しいルートに近づくことになるし、山によっては視界が開けて自分の位置がわかってくることもある。そもそも低山ですから、ひたすら上っていれば頂上にたどりつけるわけです。

頂上にたどりつきさえすれば、帰り道はわかりますからね。これがもっとも確実な方法なんですって。これは登山する人にとっては「基本」なのだそうです。

なるほどな、と思いますよね。誠に整然とした答えで、一種の「アハ」体験のようなすかっとした気分になったわけですが、私、この「迷ったら上をめざせ」というフレーズにはとっても深い人生の教えが含まれているなあと思ったんです。

私たち、人生の目標に向かって歩いていると、気づけば路頭に迷ってしまうことってありますよね。そういう時、つい諦めて、元の生活に戻ろうとしてしまうのが常です。でも、そんな時こそ、「迷ったら上をめざせ」の精神で、頂上を目指すことが大事なのではないか。そのうち視界が晴れてくるということは多々あるものです。

もしも目標達成へのルートを見失ってしまったときは、自分で勝手にあれこれと対処に明け暮れていると迷走しがちです。そしてやがて人生の遭難者になってしまうことだってある。

だから人生に迷った時は、もう一度、ゴールを明確にして、まっすぐそちらに歩き出すことが大事なのだ、ということに気づかされました。

もちろんエベレストのような高い目標だと話は別かもしれませんが、なんとしてもクリアしたいという身近な目標の場合は、

「迷ったら上をめざせ」

をこれからの人生訓にしようと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


七々三





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