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3.11 あれから10年たった [東日本大震災]

午後2時46。東北に向かって黙とうした。
10年。特に復興企画のオファーがあったわけでもないが、今年は東北に行くと決めていた。だが、3月に入って、首都圏の緊急事態宣言が延長され、迷った挙句、断念した。

強行しようかとの想念が頭をよぎるたびに思い出されたのが、田舎の両親のことだ。二言目には「いつ帰ってくる?」という母から、この1年その言葉は聞かれなかった。そのことを思うと、新規陽性者数が減らない東京から現地に赴いたところで、相手を複雑な思いにさせるだけと、渋々諦めた。

合理的な判断をしたつもりなのに、以来ずっと気持ちが沈んでいる。

震災後、私が被災地を初めて訪れたのは、3.11から半年ほどたった、まだ残暑の厳しいころだった。気仙沼にある地元新聞の若手記者の方と知り合い、その人を訪ねて、主だった被災地域を案内してもらった。

それから数年の間は、何度も東北各地を巡り、復興の模様を観察していた。だが、「東北復興」が命の問題から予算の議題へと移るにしたがって、次第に沿岸部には次第に足が延ばさせなくなった。

気づけば、個人的に力を入れていた、社会起業家に関する取材からも遠ざかっていった。社会の課題を解決しようと働くことが、当たり前の世の中になったからだ。もはや自分が取材して紹介する必要などなくなったと感じたのだ。

この10年、被災地各地では想像できないほどの苦しみと悲しみの中で希望を見出し、暮らしを繋いでこられたのだと思う。その歩みに、心からの敬意と労いの意を表したい。

テレビで各地の様子を見ていると、綺麗になったなあと思う。しかし、人の暮らしぶりがまったく見えてこない。町や港を歩く人の姿が報道されない。港の近くで冠水していたあの道はどうなっただろうか。わずかに残っていた古い町並みはどうなっているのか。いろいろとお話を聞かせてくれた、ホルモン店のご主人やカフェのマスター、海辺のホテルの女将さんはお元気だろうか。

宣言が解除されたら折を見て、取材でお世話になった人物やお店やホテル、復興商店街をもう一度訪ねてお顔を拝みたい。そしてアスファルトが分断され、灯ひとつ見えなかった海岸線の村々が今どうなったか、この目で確かめにいこうと思っている。

七々三

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