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親のありがたみ [家族]

父は85、母は81。

周囲を見る限り、私の年代で両親ともに健在という状況は、恵まれていることのようだ。

とはいえ、いつも元気だった両親も、最近は病院のお世話になることが増えた。

そして今月、母が人生で初めて、全身麻酔で臨む外科手術を受けた。

手術当日。コロナの影響で、付き添えるのは一人だけ。
父と妹と家族3人で協議した結果、私がその役を担うことになった。

怖くて一睡もできなかったとおびえる母を乗せたベッドが運ばれるのを病室で見送ってから3時間ほどたって、別室に呼ばれた。

そこで執刀医から、手術は想定していた中でもっともスムーズにいったと聞き、ほっとした。

もう本人と話もできるという。

病室にもどってみると、手術を終えたばかりの母が病室に戻っていた。横で看護師さんが点滴をセットしたり、脈をはかったり、忙しそうにしている。

母は麻酔から覚めたばかりで、まだ瞼も開けきれず、目の焦点も合っていない。

「お母さん」と呼びかけても、「うん」というだけ。

「よく頑張ったね」
「うん」

「俺がわかる?」
「うん」

人生とは過酷なもので、老いて弱った体になって、切った張ったの治療を余儀なくされる。5年ほど前に腰椎を骨折してから、散歩もできなくなっていた母にとって、その苦しさは私の想像を超えているに違いない。

私は努めて明るく「よく頑張ったね」、「手術は大成功だったみたいだよ」と、話しかけていた。

ようやく意識が戻ってきたのか、「今何時? え、3時間もたったの」「起きたら暑くてたまらんかった」「手術室に入ってそこから覚えとらん」と、はっきりしない口調でしゃべりはじめた。

「あ、そう」「そうだったの」と明るく返事をしていたが、母がこんなに苦しそうな姿を見たのは初めてだ。

何か感情が湧く前に、胸が締め付けられるような痛みを感じていた。

10分ほど母の様子を見ていたところで、看護師さんからそろそろの合図を受けた。付き添いも長居はできないようだ。

「じゃあ、お母さん、もう時間だから、帰るね」と、肩に手を置いて、耳元で別れを告げたときだった。

「ありがとな。東京からわざわざ来てくれて、何日も買い物や送り迎えをしてくれて、ありがとう。ずっとこっちでいたから、くだびれたじゃろ。よう休んでな。ありがとうな」

この後、私が東京に帰ることを覚えていたのだろう。痛む体をこちらに向けて、絞り出すように何度も何度も礼を言う母。

いやいや、一番しんどいのは、手術を終えたばかりのあなたですから、と言おうとしたけど、胸が詰まって言葉にできなかった。

子どもがいくつになろうと、自分より子どものことを気に掛けてくれる親というのは、なんとありがたい存在なんだろう。

病室を後にして急ぎ足で中庭のベンチに座ってから、しばらくハンカチで目を覆っていた。まさかこんな形でこみ上げてくるとは。

子どもは一生、親には頭が上がらないもの。そこに説明の余地などないのです。


七々三



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