SSブログ

不安になった時こそ、もう一歩前へ [言葉の力]

12日の土曜日に今年初めての書道教室に行ってきました。毎回のことですが、師匠の武田双雲先生は久しぶりにお会いするとき、最近起こったことについておもしろおかしく話して聞かせてくれます。

その日は、こんな話しから始まりました。
「人間って暇だとネガティブになりますよね」。
双雲先生は年末から年始にかけてゆっくり目のお休みを取られたとか。その時、意外にも先行きのことで不安に襲われたというのです。

ぼくたち生徒はすかさず、「ポジティブの教科書」の著者でもネガティブになっちゃうんですか? と冗談で問い返します。すると双雲先生は、
「ゴロンと横になって、ぼーっとしているときって人は『よっしゃ!あれもやってみようか、そうだ、これにも挑戦してみよう!』ってアグレッシブにならないじゃないですか(笑)。人ってやっぱり何か活動しているときにポジティブになれるんだなってわかったんですよ~」
そんな気づきを共有してくれました。

双雲先生と教室で交わす、何気ないようでいて深い会話がぼくは好きです。今回のお話も、27年間ほどフリーランスで仕事をしてきたわが身には、強く共感できるものでした。

たとえば次の仕事が決まっていないようなとき、ついあれこれと先のことを懸念して落ち込んでしまうことがよくあります。だからこそ、常に元気の源を見つけようと努めてきたことを、先生の一言で思い起こしていました。

人は不安を抱えていく生き物です。生まれてこの方、不安を感じたことがないという人はいないでしょう。いたら手を挙げてくれますか? 人間、生きているだけで不安はつきまといます。何も起こっていないのに、勝手に迷ったり困ったり。

個人的なことでいえば、なぜか過去にうまくいかなかったことが思い出されて一人で反芻し、次第に暗くなっていったり。一人の時間が長いと、自然にそういう連鎖に入ってしまいます。出版界にも激変の波が襲っていて、長年やってきたことを変えることには不安がつきまといます。しかも、今年で54歳の身。自分の人生をいかにまっとうするかも問われていて、やっぱり何かに急き立てられているような感覚に襲われて生きていたりするわけです。

ついでに年末には父親に深刻な病が発覚。一昨年の暮れに、妻の父親をなくした悲しみがまだ癒えないというのに、また一難かと思ってしまう。でも、こうしたことは避けられないことですからね。

不安といかにうまく付き合っていくかということは、人間に課された課題です。

では不安とどう付き合えばいいのか…人によってそれぞれ処方箋はあると思います。ぼくも年代によってそれなりに対処法を身につけてきたましたが、50代になってからの処方箋はまだ見つかっておらず、これから見つけていこう…と思っていた矢先、こんな言葉に出会いました。

「もうダメだ、つらい、と思った時こそ、一歩前へ出る」

これはあのミスタージャイアンツ、長嶋茂雄さんの言葉です。年末に放映されたテレビ番組『長嶋さんと中居くん』で紹介されていたのを、昨夜、録画で見て心揺さぶられました。

長嶋さんは脳梗塞で倒れて以後、ずっと過酷なリハビリを続けています。そこは、ぼくも過去に知人のお見舞いで訪れたことのあるリハビリ専門施設でした。番組では長嶋さんがリハビリに励む模様も映像で紹介されていましたが、あの方の不屈の精神たるや、さすがです。

ただ、さきほど上で紹介した言葉は、長嶋さんが自身に向けて言いきかせている言葉ではありません。同じ施設でリハビリをしていた、ある役者さんを励ましてかけた言葉だそうです。

また、長嶋さんは、その役者さんがリハビリのつらさについ、涙をこぼしてしまった時に、施設全館に響くほどの大声で「頑張れ!」と一喝したこともあったとか。

ご自身も歩行がスムーズではなく、利き腕も自由に使えない状態にもかかわらず、他の人を本気で励ましていた長嶋さんのエピソードには、心打たれるものがあります。

「頑張れ」という言葉は使い方が難しい。東北の震災で被災した人たちに「頑張ってください」という言葉をかけるのはやめよう、という運動が起こったこともありました。限界値を超えて耐えている人に、この言葉をかけてしまうと、さらに窮地に追い込むことになるからです。

しかし今回のエピソードを聴いた時、ぼくは「頑張る」という言葉には、とても重要な意味が含まれていることを改めて知りました。それは「希望を捨てるな」というメッセージ。そして、つらい時に後ずさりすると、かえってつらくなるぞ、という意味も込められているように感じます。

生きている間にはいろいろなことが起こりますが、人はその一つ一つに対処する術は持っているものです。ところがたまに、一度期にどん!と押し寄せてくる。そういう時、ちょっとしたことで生きる希望を失いかけてしまう瞬間に見舞われることがあるのです。これが人生の罠。

ここを反転するのに、一番いいのは世の中の見方を少し変えること。起こっていることを「おもしろい」と思って眺めてみることから、ちょっと見え方が変わってきますよね。そして一つのことがおもしろいと思えたら、やがてすべてがおもしろくなっていく、という連鎖も起こりうるのです。

しかし、落ち込んでいるときには、この切り換えがうまくいかないわけです。そういう時、大声の「頑張れ!」というショック療法もありかもしれない。ぼくはそう感じました。

じつは、不安というのは希望の裏返しで、わりと簡単に入れ替えることができるものだったりします。

だから不遇と思われることが続いたとしても、ぼくはそれをつらいとか、苦しいという受け止め方をしないよう気を付けています。もっとも注意しているのは、不安の感情に慣れないようにすること。それよりも、目の前に迫ってくることを、たのしい、おもしろいと感じられる自分を作って行きたい。

人生は勝負ではありませんから、勝ちも負けもありません。ただひたすら、自分に与えられた道のりをたのしみながら歩いていくだけ。

「人生はわからない。だからこそおもしろい」by 武田双雲

今日は朝からそんなことを思っています。


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。