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新しい1日をきちんと迎える [雑記]

この春から、早朝にウォーキングをはじめました。近くにある蘆花恒春園に行って、ストレッチして、園内にある器具で腰をツイストしたりとか、腹筋したりとか、鉄棒で懸垂のマネゴトなんかもするわけです。ちなみに懸垂は一度も棒の上まで顎が上がらないんですけどね。それでもやると。

締め切りが重なって、その締め切りがアサイチだったりすると、一度寝てから昼間に、ということもしばしばあるのですが、それでもなんとかここまでやめないで、まあ続けています。

問題は冬。起きたら真っ暗なんですね。朝の早いお仕事の人にとっては当たり前のことかもしれないので恐縮ですが、フリーライターにとって朝起きて運動をするというのはなかなか骨のいることだということをご理解いただけたら嬉しいです。

それでも春とか夏などは、朝の陽光や緑の美しさを感じられるという魅力が僕を早朝に起こしてくれたのですが、冬となるとそうはいかない。何しろ朝6時といえば太陽はまだ地平線の下で、暗い。おまけに寒い。公園も真っ暗で自然の美しさはそこにはない。

「なんでこんなことしてるんだろう?」と自分でも思うのです。が、いつもすれ違う人たちは(主にご年配)は意気揚々と歩いているしドッグランでは犬が走り回っている。春や夏の明るい光景を知っているだけに、なんでこの人たちはこうして変わらず来ているんだろうと思いながら、その脇をすたすた歩きます。

ところがそのうち、東の空がみるみる明るくなったと思ったら、10~15分ほどで太陽が顔をのぞかせる。すると情景は一変。東からの太陽光は、木々の枝を通過すると何本もの直線の光があたりいっぱいに突き刺さる。暗闇にいた人や動物や小高い丘にスポットライトが当てられて、それはもう眩いくらいの幻想的な情景に早変わりです。

ふと、なんで自分は歩いているのか、なぜこんなに北風が冷たくて暗いうちから、人は公園に集うのか、その答えが分かった気がするときがたまにあります。

もちろんその答えは一つではないんですけど、たとえば今朝ふと思ったのは、「1日をちゃんと迎えるため」ということでした。

朝は黙っていてもやってきます。それも毎日。こちらが眠っていようと、仕事をしていようと、何かで悩んでいようと、空腹を我慢して布団の中でダラダラしていようと、どんなことがあろうとやってくる。だから意識していないと、新しい日が来たことにも気づかないし、気づいてもだから何?という感じになりがち。

でも今日の日というのは、今日だけの期限付きのものですからね。当たり前ですが。

ところがですよ。寒風におののきながら、太陽が次第にあたりを照らしはじめるのを見ていると、「おっと、新しい1日がやってきたなあ」と嫌でも気づくわけです。

1日たりとも同じ朝はないよねっていうことを、なんとなく体が感じていたりする。日によって寒さもあったかさも違うし、天気も違えばそこですれ違う人も、ばうわうと声を上げて疾走する犬の顔ぶれも違う。そして一番違うのは、太陽の上り方だったりもします。

すると、どうせすぐになくなってしまうんだから、この1日を大切にしたいなと思ってしまうわけです。もしかしたら東京に雪が降った朝の、子どもの気持ちに似ているかもしれません。

そんなことから、朝歩く意味っていうのはきっと、まっさらの1日を神様がくれたんだなあと、しっかり感じるためだと思ったのでした。

今朝も広場に集まった人たちの輪の中から「新しい朝が来た~希望の朝だ~♪」という歌が流れていました。それは当たり前の光景だけど、当たり前の1日ではない。そんなことを思うのです。

すみません、朝歩いて帰ると気持ちが高揚してしまって、つい筆も滑ります。
このかけがえのない1日が、みなさんにハッピーを運んでくれますように。



七々三



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