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年齢を重ねて味わう「悲寂」はレモンケーキの甘さ [人]

人生100年時代がきたと言われても、
正直なところ、だからなんなの? 
というしかない。

それでも、あまりに話題になるものだから、
ついじぶんの年齢を考える機会が増えた。

そういえば、50代後半を迎えてみて、
年を取るということがなんなのか、
少しわかってきたような気がする。

一言で表現するなら、
うっすらと「悲寂」の味がする、
という感じ。

その味の主成分は、人との別れの多さ。
学生時代の卒業とか、会社や組織での異動とか、
そういうことではなくて、
その人と二度と会えなくなる別れが増える、
ということ。

実際、身内や友人、知人がこの世を去った
という知らせが、突然入ってくることが増えた。

同時に、仕事でお付き合いのあったディレクターや編集者が、
まったく関係のない畑に転職したり、
異動することになったときなども、
「もう二度と会うことがないんだな」と
直感的にわかってしまう。

さらに、相当に濃い知人の両親や兄弟が
亡くなって寂しい思いを共有することも増えてくる。

一方では(うちはまだですが)子どもが独立したり、
結婚して籍を離れていったりする年代でもある。

全体として、深刻な別れが増えるわけです。
だからなんとなく、ふんわりと、
悲しさや寂しさが漂っている。
それが50代以降の味なんだと思う。

でもその一方で、だからこそ、人と人との関係とか
季節といったものの有難みをより感じるようにもなった。

親しい友人と会って一杯やるときの楽しさは、
40代までの何倍にもなる。
春に咲く桜の花が、驚くほど美しく見えるように
なっていく。

感性が研ぎ澄まされて、人生の魅力やおいしさが
より味わえる、といった豊かさを感じられるのも
きっと50代になったからだ。

そういう変化に比べたら、
じつは肉体的な衰えというのは、
想像していたほどでもないんです。

ちょっと気取ってたとえるなら、
レモンケーキ(パウンドケーキ)のようなもの。
最初はすっぱい味わいが広がるけれど、
その後しっかり甘さが広がる。
そんな年代に自分がいる。

そしてその深い甘さを、より長く味わえるのが、
人生100年時代。
と思えば、なんとなく心も弾んでくるこの頃。

寂しそうにしているより、楽しそうにしている
老人になりたいものです。


七々三


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