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「言葉が降りてくる」を読み解く [ライター的]

よく有名な作家が「言葉が降ってくる」なんてことをおっしゃいます。それは一部の天才的な人のみに与えられた能力で、私のような凡人はただ、「才能ってそういうことなんだよな」と感心するばかりです。

ところが、先日、20年以上も私の原稿を受け取ってくれている、高齢の女性編集者の方から「大島さんの原稿にも、そういうものを感じるけどね」と言われて、えっと驚いてしまいました。

いえいえ、私など資料に囲まれて、毎回呻吟しながら言葉を絞り出しているだけですよ、とその場は別れたのですが、あらためて自分の仕事を振り返ると、たしかにそれに似た要素がなくもない。

書いている途中で、自分の予期しなかったイメージとかフレーズとか、言葉の羅列などが頭に浮かんでくることはあります。どれくらいの頻度かというと、1本の原稿に1回は必ず、そういうことは起きています。書いていないときでも、たとえば寝る間際とか起きた瞬間に浮かんでくることもあるので、メモ帳を枕のそばに常備し、散歩や移動中はスマホにメモするなんてこともしてきましたよ。

ただそれは、締め切りまでに原稿を書き上げるための、苦し紛れのアイデア出し、といったところ。
あまりに日常のことなので、意識したことがないほどです。

厳密に言えば、文章のテクニックとは性格が異なることだから、クリエイティブの自動装置に近いものは、身体のどこかに少しは備わっているのかもしれません。

でも、ちょっと待てよ。それくらいのことなら、誰だって経験していることですよね。天才と言われる人たちは、その精度とか量が半端なくて、しかも人に評価されるような内容が降りてくるのだと思いますが、レベルに差はあるにせよ突然、よいアイデアが浮かんできた、といった経験はすべての人が持っているはず。ということは、そもそも人間が備えている基本的な能力なのだと思います。

きっと私たちの頭の中には、言葉やアイデアの泳いでいる海があって、そこに釣り糸を垂れているんですね。時々、仕掛けに魚がかかるように、アイデアや言葉がかかるわけです。あとはいかに上手に釣りあげるか。

しかし問題はそこから。釣った魚をどうさばいて、どんな料理にするかは、その人の腕とアイデア次第。いえ、釣りに上手と下手がいるように、釣り上げるにも修行で技術を磨く必要がありそう。

そういうふうに考えていくと、今、自分がしている仕事も急に面白く感じられるから不思議です。釣り名人の域に達するには、ひたすら鍛錬と向上心が必要。そして、いずれはさばき方や料理も覚えなければなりません。

あれ、自動装置を身に着けるのも楽じゃなさそう。

今夜もまた釣りに出て、腕を磨きたいと思います。


七々三



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