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多様性と常識と [人]

今日は真剣な話題で、少し長くなってしまいます。息抜きにはなりにくいと思いますので、お時間があるときにでも読んでいただいて、一緒に考えてもらえたら嬉しいです。

少し前にも書きましたが、今月、日本パラリンピック水泳のエースで全盲のスイマー、木村敬一さんにインタビューする機会をいただきました。この木村さんがとても素敵な青年でした。会うと一瞬で魅了されてしまうという人物です。もしお時間があればぜひ、こちらの動画をご覧になってみてください。https://corporate.wowow.co.jp/whoiam/cat605/2585.html
https://www.tokyo-gas-2020.jp/people/swimming/kimura/

今、WOWOWが「WHO I AM~これが自分だ!という輝き」というドキュメンタリー・プロジェクトを、IPC(国際パラリンピック委員会)と共同で行っていて、木村選手も2018年のシーズン3で番組として取り上げられています。

2018年といえば木村選手がたった一人で渡米した年。目が見えない、言葉がわからない、友だちもいない環境下で、くじけることなく、トレーニングに励み、金メダルをめざす木村選手の姿を50分のドキュメンタリー番組にまとめているのですが、そこには現地の人たちが「ケイイチに勇気をもらっている」と感謝している姿が番組で紹介されていました。

困難にあっても常に明るく、誰を非難することも、不遇を嘆くこともない。そして自分の目標である金メダルに向けてたゆまぬ努力する姿を見れば、誰だってファンにならずにはいられません。

残念ながらコロナの影響で帰国せざるを得ず、今は日本でトレーニングを積みながら来年の東京パラリンピックの準備をしているとのことでしたが、先日お会いした時にお話をうかがったら、可能ならアメリカに戻ってトレーニングをしたいと話していました。

なぜ?と聞くと「楽しかったから」。むむ、はたから見れば過酷な生活そのものなのに、「楽しかった」と聞いて唖然としてしまいました。

取材の最後に、「僕はこの世に生を受けて、今のところ、本当によかったと思っているんです」と語っていた木村選手の姿が今も心に焼きついています。

僕は、この頃になってようやく、たとえば目が見えないといった障がいも個性に過ぎない、と心から思えるようになりました。目が見えていても、泳げない人だってたくさんいるし、ピアノが弾けない人も多い。ということは泳いだり、ピアノを弾くうえで、視覚は不可欠なものではなく、できるできないの線引きにはならないということです。

健常者に得意なことや不得意なことがあるように、障害をもつ人にも得意不得意があって、まったく同じです。むしろ健常者は、障害を抱えた人から学ぶこともとても多い。そいうことが、ようやくこの年になって肌身に染みるような感覚でわかってきました。

木村選手は「障がいがあっても、それ以外の部分を鍛えることによっていくらでもパフォーマンスは上げられます」と言っていました。もしそうだとするなら、これまで私たちが子どもの頃から大人や指導者に査定されてきた「素質」とは何だったのでしょう。

「資質」の真の意味とは、それが好きかどうか、の一点ではないのか。今のように、足がなくても走れたり、テニスができたり、バスケットボール選手になれる世の中になってみると、私たちの「決めつけ」や常識は、単に人類の技術や精神が未発達だっただけとわかります。

今、多様性は日本社会でモラルとか道徳的な文脈で語られることが多い状況です。しかし実はバリアがある状態のほうがおかしくて、多様性のほうがものの道理であり真理なのではないでしょうか。

数年前に一度、妻と一緒に全盲の天才ピアニスト、辻井伸行さんのピアノコンサートを聴きに行ったことがあります。その日は幸運にも最前列ほぼ中央の席でした。

ステージ上にグランドピアノが1台。辻井さんの息づかいも聞こえてくる距離で、リストの「ラ・カンパネラ」の演奏を聴いたときの胸の高鳴り。

演奏を終えた時に光っていた汗と律義なお辞儀。今も心の中に刻まれています。

辻井さんのピアノの音色は、1音1音が純粋で、混じり気がなく、激しくも悲哀あふれる「ラ・カンパネラ」は希望の鐘だったのかと、はっとした記憶があります。

その数か月後、日本人初の全盲のピアニストとして世界的に活躍されている梯剛之さんをインタビューする機会に恵まれました。その時にうかがった「音には色も香りもある」というお話はとても示唆に富むものでした。どれだけ技術的に向上しても、音色が悪いと聴く人に感動を届けることはできない。

しかも「その音色は、その人の性格や内面の状態によって変わる。天賦の要素もあり、練習だけでは補えない反面、人間の成長によって音色は変わる、奥深い世界なんです。自分にも理想の音色があって、日々、その音色を奏でるための努力をしています」と梯さん。技術的な向上より、音色を理想に近づけることのほうがはるかに難しいと話す姿が印象的でした。

かつては「仕事で、女は使いものにならない」なんてことが当然のように言われていました。今、考えれば恐ろしいほどの偏見ですが、あの当時はそれが常識だったのです。常識なんてものは、まったく根拠のないものです。

反対に理想と言われるものの中に、常識が潜んでいるものです。だからこそ世間に笑われようとも、批判されようとも、あきらめることなく、恥じることなく、理想を語ることが必要だと思うのです。


七々三



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