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東京パラリンピックが閉幕。ここからが始まりだ [ライター的]

東京2020パラリンピックが閉会しました。オリンピックよりも得るものが大きかったと感じているのは、私だけではないと思います。

それは「ナンバー1」と「オンリー1」が同時に成立する競技大会だったからでしょう。大会を通じてテレビで大々的に放送されたことで、障がい者の人たちが生き生きとチャレンジしている姿を多くの人が見られました。彼らが障がいを乗り越えていく力のすさまじさ、強さに圧倒された人も多いことでしょう。私もその一人です。

どの競技も、同じチームの選手でありながら、あるいは同じカテゴリーの競技でありながら、選手によってまったく違うフォームやスタイルで戦う姿を見せてくれました。なぜなら一人ひとり障がいの種類もレベルも違っているから。

選手たちはそれぞれが私たちの想像をはるかに超える創意工夫と努力によって、自らの障がいを補う独自のスタイルを編み出し、信じられない力やスピード、精度を生み出していました。

実はこれこそ、社会の中ですべての人たちが理想とする仕事観、生活観であり、人生観なのではないでしょうか。

私たちは誰一人として同じ人はいません。にもかかわらず社会は今も、画一化された模範モデルに人を当てはめようとします。そして統一基準に順応できる人が評価される仕組みになっています。

でも、本来はやり方がどうであれ、その人が持てる個性を存分に発揮して成果を出すことが大切なのです。そういう考え方に立った時、実は障がいは個性のひとつでしかないことに気づきます。

パラリンピックは選手の運動能力の順位をつけるのが最大の目的ではない。少なくとも私はそう思いました。順位や記録よりも、個々の選手が競技に挑む姿を目撃することに意義があったと思います。

これまで障がい者は社会にとって支援の対象でしたが、じつはともに手を携えて社会を築いていく仲間だということを、今回のパラリンピックを通じて実感しました。

たとえば片腕がなくても、健常者より走るのが速い人はいます。また全盲の人のほうが健常者より記憶力がいいといった事例だって多いに違いありません。その人の特性を生かして、社会に貢献すればいいだけのこと。そういう意味では、実は障がい者と健常者を区切るバリアは意味がないのです。

だから閉会式を終えた今からが始まりです。

あの東京オリンピックを境に、世界は一気に多様性を認める世界に変わり始めたと10年後、20年後に言われるように、私たち一人ひとりが多様な社会を築くための働きかけを始めること。それがパラリンピックがめざす本当の成果なのだと思っています。


七々三







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